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聖書の御言(성경과말씀)/教会暦B

顕現第3主日の御言葉

この写真は沖縄教区聖ペテロ聖パウロ主教座聖堂の主任司祭 上原栄正神父様です


旧約聖書はアモス書 第3章1節から
イスラエルの人々よ、主がお前たちに告げられた言葉を聞け。
―わたしがエジプトの地から導き上った、全部族に対して―
地上の全部族の中からわたしが選んだのは、お前たちだけだ。それゆえ、わたしはお前たちを、すべての罪のゆえに罰する。
打ち合わせもしないのに、二人の者が共に行くだろうか。獲物もないのに、獅子が森の中でほえるだろうか。獲物を捕らえもせずに、若獅子が穴の中から声をとどろかすだろうか。
餌が仕掛けられてもいないのに、鳥が地上に降りて来るだろうか。獲物もかからないのに、罠が地面から跳ね上がるだろうか。町で角笛が吹き鳴らされたなら、人々はおののかないだろうか。
町に災いが起こったなら、それは主がなされたことではないか。まことに、主なる神はその定められたことを、僕なる預言者に示さずには、何事もなされない。獅子がほえる。誰が恐れずにいられよう。主なる神が語られる。誰が預言せずにいられようか。
朗読者 旧約聖書を終わります。

 使徒書はコリントの信徒への手紙一 第1章10節から
兄弟たち、わたしたちの主イエス・キリストの名によってあなたがたに勧告します。皆、勝手なことを言わず、仲たがいせず、心を一つにし思いを一つにして、固く結び合いなさい。
わたしの兄弟たち、実はあなたがたの間に争いがあると、クロエの家の人たちから知らされました。あなたがたはめいめい、「わたしはパウロにつく」「わたしはアポロに」「わたしはケファに」「わたしはキリストに」などと言い合っているとのことです。
キリストは幾つにも分けられてしまったのですか。パウロがあなたがたのために十字架につけられたのですか。あなたがたはパウロの名によって洗礼を受けたのですか。
クリスポとガイオ以外に、あなたがたのだれにも洗礼を授けなかったことを、わたしは神に感謝しています。だから、わたしの名によって洗礼を受けたなどと、だれも言えないはずです。もっとも、ステファナの家の人たちにも洗礼を授けましたが、それ以外はだれにも授けた覚えはありません。なぜなら、キリストがわたしを遣わされたのは、洗礼を授けるためではなく、福音を告げ知らせるためであり、しかも、キリストの十字架がむなしいものになってしまわぬように、言葉の知恵によらないで告げ知らせるためだからです。
 聖マタイによる福音書第4章12節
 イエスは、ヨハネが捕らえられたと聞き、ガリラヤに退かれた。 そして、ナザレを離れ、ゼブルンとナフタリの地方にある湖畔の町カファルナウムに来て住まわれた。それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。
 「ゼブルンの地とナフタリの地、湖沿いの道、ヨルダン川のかなたの地、異邦人のガリラヤ、暗闇に住む民は大きな光を見、死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。」そのときから、イエスは、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言って、宣べ伝え始められた。
 イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、二人の兄弟、ペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレが、湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。  イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。二人はすぐに網を捨てて従った。
 そこから進んで、別の二人の兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、父親のゼベダイと一緒に、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、彼らをお呼びになった。この二人もすぐに、舟と父親とを残してイエスに従った。イエスはガリラヤ中を回って、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、また、民衆のありとあらゆる病気や患いをいやされた。


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